小さな幸せ。
若い時は野心の塊だった。
同期を出し抜き、先輩を超え、同僚の愚痴を聞く暇があったら昇任試験の勉強をし、僕を引
き上げてくれたキャリアの先輩から言われた通り、全て一発合格し、実績を挙げ賞も沢山
貰った。
辞めると決めた時に官舎の庭で全て焼いた。
もう、この頃から人生に絶望してた。
必死に努力し、2~3日間徹夜なんて珍しい事じゃ無かった。
部下が持ってくる点を線にして繋げ適切な指示を与えないと全員が間違った方向に行くとい
うプレッシャーに何度も押し潰されそうになりながらも、何とか一度も間違わず切り抜けら
れた。
あと、少しで16人居る中から3人しか居ない所に行けた筈だった。
その時も自分は野心の塊だった。
その罰が、今の自分なのか?
惨めな思いをして生きるのが生き続けないといけないのが罰なのか?
映画「明日への記憶」を観ていると、まるで今の自分と家内の様に思える。
僕が暴言を吐いているのに、自分では覚えていない。
病気が言わせているのだと家内は庇って許してくれるけど、僕は自分が許せない。
治したい。
病気を治したい。
治せる病なら治したい。
でも、治る事は永遠に、いや自分が生きてる間は無いだろう。
これが罰なら、仕方が無い死ぬまで受けるしかないな・・・・・・・・・・。
仕事をしていた頃は野心の塊だったけど、大きな幸せを望んで野心に燃えてた訳じゃ無い。
仕事が好きだったから、男なら、例え公務員であろうとサラリーマンになった以上、上を目
指さない奴は男じゃないと考えてた。
上を目指す努力もせず、上司の悪口ばかり言ってる奴等を軽蔑してた。
幸せなんて小さくても良いから、誰にも邪魔されず、陰口を叩かれず、家族が傍にいて笑っ
ていられたら、それで良い。
そして人生の最期に遣り残した事が無い様に、未練は残しても悔いは残さずに逝きたい。
0コメント